(聞き手)
このプレート設置活動以外に何か他の活動を展開する予定はあるのでしょうか。また、こういう活動をしてみたいという構想をお聞かせください。
(福田様)
先日、東北大学の森口先生とお話させて頂いた時に、「今ここの人だから出来ることは、震災の事を、臨場感を持って話す事です」とおっしゃっていました。テレビや
動画でも映されていますが、色々な人に出来るだけ自分の口から伝えていけたら良いと思いますし、震災関係の話し合いの場も沢山あるので、そこでも自分の事を話していきたいです。いわきや福島など、色々な所の人の話を聞いて関われたらいいとも思っています。
(中村様)
すぐに、これ以外というのはちょっと難しいので、今の活動の延長線上として考えさせてもらいます。私は小
学校の教員を目指しているのですが、もしこの地域で教員をする事が出来たら、この活動の成果を使って、未来まで伝えていけるように活動し、これをそのまま続けていきたいと考えています。
(小川様)
津波のプレートを貼ることで、素材・教材を明確化できました。
ですから、これをうちの生徒だけではなく、他県から修学旅行などで来られた際は、うちの
学校の生徒が案内して回るという形が実現すると良いと思うのです。
動画で事前学習してもらい、実際の
標識を見ながら歩く、それを実現させたいです。
津波に遭遇していないとしても水がなく、電気も灯油もないという状況は、ここの人間は全員体験していました。その
経験を聞くことは、他県から来た人にとっては得難い体験になります。多賀城にいた者にしかわからない臨場感のある話をして回ること。これで、半日くらいのコースは十分に成立すると思うのです。
(小野様)
小川先生も私たちに言っていましたが、こういう活動をしているので、亡くなった方を慰霊する碑などを建ててもらって、ルートを回っていく中で、自分の気持ちを表現できるところもあればいいと思う事があります。修学旅行には、実際にこういう所を見たいという問い合わせや、ボランティアをしてみたいという問い合わせがあります。今はなかなかそうした活動ができませんが、他の地区と絡めながら、ボランティアをして帰るというような事が出来れば、もっと沢山の人に来てもらえる気がします。
(小川様)
それからもう一つ。やはりこの地域内での話ですが、献花や精霊流しなどのテレビで報道されているようなものを見て、多賀城でもかなりの人が亡くなっているのに、供養する花がおかれている場所が無いと感じました。もしかしたら、ご遺体を確認した人は安置所だったグランディ21で確認されて、どこで亡くなったかまでは知らないのではないでしょうか。そこでうちの生徒で割り振って、どこで何人が亡くなったかわかるものを作り、それを基にお盆にきちんと献花する活動を毎年続けたいと思っています。
学校から市に「ここに石碑を建ててくれ」とは言えないので、お盆前後だけ看板か何かを立てて花と一緒に置いておき、終わったら引っ込める。それを来年もまたするというように、その時期だけで構わないので思い出してもらいたいのです。
(福田様)
確かに、言われれば亡くなった場所や時間はあいまいです。
(小川様)
ですから、
津波が来たというだけではなく、これだけの人が亡くなった場所なのだという事をきちんと残さなくてはなりません。
(小野様)
それから、
痕跡が残っている場所を市として
保存してもらえるように動いて頂けるのであれば、ひとまず安心出来るのではないかと思っています。今残っている
痕跡は、放っておいたらいつまで残っているかもわかりません。
(小川様)
また、宮城県全体で何が起こったかを説明するための地図を作りました。仮設住宅もあと数年で無くなりますから、今は珍しくない物であっても、どこかで
保存するか見学出来るようにするかが必要でしょう。
(小野様)
空き地はあるので、ここに仮設住宅を1棟建てて、教材にしようという話も出ています。